山形大学工学部 米沢工業会 事務局


 10月31日の朝刊で、志村ふくみさんの文化勲章受賞を知る。

<日本経済新聞 2015.11.3 春秋より> 

 染色家の志村ふくみさん(91歳)はほぼ60年、四季折々、装いを変える草木から採った染料で糸を染め、布を織ってきた。いまも仕事の核に藍染めがある。31歳でこの道に入った。「藍染が絶えぬようにしてほしい。藍染の着物ほど日本の女の人を美しくみせるものはない」。母に励まされて取り組むが、失敗の連続だった。甕にしこんだ葉が発酵して深い青が立ち上がる過程が難しい。

 やがて藍が生きていると実感する。月の満ち欠けに合わせて仕込むと甕の中が生き生きとしてくる。はっとするような鮮やかな紺青が生まれた。自然のリズムが植物の持つ命の輝きを引き出したことに気がつく。

<作品との出会い>
 2010年7月、米沢工業会中国支部総会の翌日、広島市内を散策しする。回遊式庭園・縮景園に入園したあと、隣の広島県立美術館に入館し、人間国宝・志村ふくみ氏の紬織着物・枝垂桃の展示に足が止まり釘付けになる。恥ずかしながら始めて志村ふくみ氏の存在を知りファンになり、氏の随筆書籍を購入する。作品だけでなく、随筆にも魅了される。



≪語りかける花≫

「桜の花の咲く前に皮をはいで染めたら、上気したような美しい桜色に染まった。それは桜の花瓣だけが桜色なのでなくて、花の咲く前の桜は幹も枝も全体で色を貯えているからだ」

◇ 織物の中で、平織りは最も平易である。経糸が一本ずつ交互に上下し、その間を緯糸が左右する。この単純な作業の謎解きをすれば

経糸は空間であり、伝統であり、思考である。

緯糸は時間であり、現在であり、感情である。

経、緯の糸が十字に交差すれば、

空間と時間、伝統と現在、

思考と感情がその接点において織り成される。

≪志村ふくみの言葉・

      白のままでは生きられない≫

【心を熱くして生きなくて何の人生であろう】

ひとりの主婦が運命に導かれるように

美のしもべとなり、植物の命をいただく

染織家として自分の道を自分の足で歩く

ことにより体感した苦悩と歓び。
   

◇ 白に白。白い糸を白く染める。

◇ 窮極の白を何によって汚すのか。

  それは赤、新しい年を染め上げる赤である。

  暁天に射す光、人々のなかに射す、

          生命の突端の色、
   
  それは白と赤ではあるまいか。

◇ 本当に見たいということは、

   見えないから見たいのだ。

≪一色一生≫

◇ 八十を過ぎた老陶芸家の言葉・「伝統とは」

 「日本の古典を基礎にやったが、これはみんな新しいものだ。伝統というものは生命の継承であって、古いものの繰り返しではない。それは伝統でなく、因習である。人間は父にも似てるが、母にもにている。しかし父でもなく母でもない。新しい生命である。新しい生命はその時代に成長し、闘って時代と共に進展してゆく力をもっている。伝統は日々新しい闘いを続けていて、日々成長するものである。」

 「伝統とは蹴破るものだ」

◇ 色と音

 淡い鳩羽鼠の経糸は、うす鼠とも、うす茶とも、うす紫ともつかぬような微妙な色のカンバスである。その色自体の無類の優しさのせいか、どんな色も黙して静かに受け入れてくれる。私はその優しさに甘えて、さまざまな色を緯糸に入れてみる。藍は勿論のこと、緑も茶も実に良く合う。・・・・

 一色入れるたびに織の中からかすかに、音色がきこえて来る。繊い弦の音が何かをもとめているようだ。これか、と利休鼠を添えてみる。つづいて薄紫の濃淡暈かしー。やわらかい旋律がようやく生まれる。
 
 大切なことは、その色の一つ一つが純一に自分の色を奏でていることだ。色にも音階(色階というべきかも知れないが)があって、ドとミの間にどれほどの微妙な音色があるだろおうか。日本人は古来、どれほどの微妙な色階の判別をなし得ただろう。しかも不可思議ともいえる色名を創造した。

≪色を奏でる≫

 ◇ 光の旅

 光が現世界に入りさまざまの状況に出会うときに示す多様な表情を、色彩としてとらえたゲーテは、「色彩は光の行為であり、受苦である」といった。この言葉に出会ったとき、私は永年の謎が一瞬にして解けた思いがした。光は屈折し、別離し、さまざまの色彩としてこの世に宿る。植物から色が抽出され、媒染されるのも、人間がさまざまの事象に出会い、苦しみを受け、自身の色に染め上げられてゆくのも、根源は一つであり、光の旅ではないだろうか。

≪ゲーテ曰く

「自然の全体は光の働きによる色彩を通して

        眼という感覚に自己を啓示する」≫

【2010.7,6】

~人間国宝・志村ふくみ氏の紬織 着物・枝垂桃~

中国支部総会の翌日、広島県立美術館に入館する。人間国宝・志村ふくみ氏の紬織着物・枝垂桃に魅了される。

≪人間国宝・志村ふくみ氏、1924年(大正13年)~≫

・滋賀県近江八幡市にうまれ、郷里で独自に染色の研究を始める。
・伝統的な柄である平凡な縞や絣に段ぼかしという新しい技法を加える。
・豊かな感性と想像力で紬織を芸術作品に発展させたことから、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。

《絹・紬》


蕾が花となって、花弁がほころびた時、色は花へ移行し、彼岸の世界に去ってしまうのである。色は花の咲く前でなければ、彼岸に留まらないのである。紅梅の薄紅色は幹に宿り、花の咲く前に私はその色をいただくのである。いわば色盗人といおうか・・・・梅から色を頂く。莟紅梅の命をいただく。・・・・梅が再び生まれ変わって、私の織る着物の中で、匂い立ってほしいと願う。

 志村ふくみ 「語りかける花」(1992年、人文書院所収「莟紅梅」より)

~広島県立美術館内、マルコポールのランチ~

日曜日の朝、縮景園に行く。開園は朝9:00~だったが10:00に入園する。高齢者は入園料250円が無料となる。朝の散歩で開園時間は確認しなかったが、入園料は確認する。広島駅から1km未満だったがぐっしょり汗を掻く。早朝の散歩の時は、汗ばんだ程度でしたが、日中はやはり暑い。入園料が無料だったので早速、茶屋へ行ってソフトクリームを注文する。手荷物は無料で預かって下さった。約一時間ゆっくりと、回遊式庭園を見物する。回遊式庭園は何処から見てもそれぞれ趣がある。素晴らしい設計だ。回遊式人間はなななかお目にかかれないと思った。

充分に庭園を観賞し満足しましたが、お腹の方が不満気味なので、隣の広島県立美術館に裏口から入館する。お腹がすくと何故美術館なのか、まず暑さがしのげるし、レストランか食堂があると考えた。

《一番奥の右端の席に案内される》


 洒落たレストランがありました。縮景園から続く庭を総ガラス張りから観賞する事が出来るレイアウトだ。やはりランドスケープは大切だ。一番奥のグランドピアノの傍に案内される。人相が悪いので、入口近くだと折角のお客さんが帰ってしまうのを恐れての判断だったと思う。

《ピアノの演奏があったらと思う》


 汗が流れるように出て来たので、生ビールを一気に頂く。メニューからベジタブルランチを注文する。

《庭を観賞する》

《ベジタブルランチ》




《デザート》