山形大学工学部 米沢工業会 事務局


<蔵王山上歌碑>

陸奥を ふたわけざまに 聳えたまふ

      蔵王の山の 雲の中に立つ

<吹雪の夜の最上川を詠む>

最上川 逆白波の たつまでに

      ふぶくゆうふべと なりにけるかも

<終焉の地にて>

新宿の 大京町と いふとおり

      わが足よわり 住みつかむとす

<駐車場から陸橋を渡って>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<陸橋からのアプローチ&庭園>








<蔵王連峰&庭園>












<齋藤茂吉記念館>

茂吉の彫刻は米沢出身の彫刻家・桜井祐一作










<養苗園の歌碑>












<記念館を後に>









【2014.9.11】

~歌人・斎藤茂吉とアキレス株式会社伊藤 守代表取締役社長~

 9月11日にアキレス株式会社伊藤 守(C51)代表取締役社長を訪問しました。お蕎麦をご馳走頂きに外に出てすぐに伊藤社長から、「斎藤茂吉の終焉の地」ですと説明を受ける。


<斎藤茂吉終焉の地>





<四谷四丁目交差点>
・斎藤茂吉終焉の地のすぐ近く


 以下、新潮新書 井上ひさし著 日本語教室 より、抜粋

 斎藤茂吉は戦争中、空襲で家が焼け、戦後しばらく山形県大石田に疎開される。大石田は最上川沿いの船宿として栄えた。最上川上流には紅花畑がたくさんありますから、紅花を最上川を通してずっと酒田へ、酒田から京都へ船で運んで、京都の口紅屋さんが加工して、京都の口紅として、全国に売り出していた。その大石田という町へ茂吉は疎開してきて、夕方よく散歩するんです。
 最上川の川べりを。ある夕方、雪が降ってきて、そこでできた作品が次の歌です。」


最上川 逆白波の たつまでに

ふぶくゆうべと なりにけるかも

                                以上

◆ 斎藤茂吉は疎開先の大石田から終焉の地大京町へ。
◆ アキレス株式会社伊藤 守(C51)代表取締役社長の出身地は、大石田です。伊藤社長も大石田からアキレス株式会社本社・大京町へ。