山形大学工学部 米沢工業会 事務局

日 時:2015.4.24(金)17:40~18:40
会 場:山形大学 東京サテライト キャンパス・イノベーションセンター5階(リエゾンコーナー)

 

講師紹介:水谷 幹事 (短C57)

講 師:山形大学基盤教育院教授 山本 陽史 氏

演 題:「米沢の海軍」と海軍流技術j教育

 

 

 

 

<米沢の海軍>

◆ 海軍の将校が輩出した点は米沢は薩摩(鹿児島)に次ぐと言われている。
 直積的な理由は、旧米沢藩士・小森沢長政が維新後兵部省海軍所(明治5年以降は海軍省)に文官として奉職し、法務関係を担当して日清戦争後は海軍省司法部長の要職を務めるなど、異例の出世をとげている。

◆ 小森沢の興譲館への働きかけにより明治12年に山下源太郎が東京築地の海軍兵学校に合格。海軍兵学校は後には帝国大学をしのぐ男子最難関教育機関となる。その後興譲館から兵学校に進出するものが輩出する。

◆ 山下源太郎は連合艦隊長官や軍令部長の要職を歴任する。「米沢の海軍」を代表する人物である。

  山下源太郎大将曰く、「自分は他人の良いことを聞くのは好きだが、悪口を聞くのは嫌いだ。だからなるべく人の良い事を聞くようにして居ると」

◆ 小森沢の熱意、山下の活躍によって「米沢の海軍」の伝統が築かれ、南雲忠一中将がそれに続いたのである。

◆ 「米沢の海軍」の背景:過剰藩士を抱える貧乏藩の米沢にとって、「国のため」という大義名分が立ち、「官費留学」という恩恵のある陸海軍の学校誕生は、まさに降ってわいたような僥倖であった。
 米沢の二三男の俊英が目指したのは、勝海舟の勧誘もあって、海軍兵学校であった。

<米沢高等工業学校の誕生&設立>