山形大学工学部 米沢工業会 事務局


 9月11日にアキレス株式会社伊藤 守(C51)代表取締役社長を訪問しました。お蕎麦をご馳走頂きに外に出てすぐに伊藤社長から、「斎藤茂吉の終焉の地」ですと説明を受ける。
<斎藤茂吉終焉の地>

 

 

 

<四谷四丁目交差点>
・斎藤茂吉終焉の地のすぐ近く

 

 以下、新潮新書 井上ひさし著 日本語教室 より、抜粋

 斎藤茂吉は戦争中、空襲で家が焼け、戦後しばらく山形県大石田に疎開される。大石田は最上川沿いの船宿として栄えた。最上川上流には紅花畑がたくさんありますから、紅花を最上川を通してずっと酒田へ、酒田から京都へ船で運んで、京都の口紅屋さんが加工して、京都の口紅として、全国に売り出していた。その大石田という町へ茂吉は疎開してきて、夕方よく散歩するんです。
 最上川の川べりを。ある夕方、雪が降ってきて、そこでできた作品が次の歌です。」


最上川 逆白波の たつまでに

ふぶくゆうべと なりにけるかも

                                以上

◆ 斎藤茂吉は疎開先の大石田から終焉の地大京町へ。
◆ アキレス株式会社伊藤 守(C51)代表取締役社長の出身地は、大石田です。伊藤社長も大石田からアキレス株式会社本社・大京町へ。