山形大学工学部 米沢工業会 事務局

 

~大境 彰大先輩(E昭和22年卒)がお越し下さる~


  13時に大境 彰大先輩(E昭和22年卒)がお越し下さる。先週、今日お越しくださるとお電話を頂いく。通町で法事があるので米沢にいらっしゃったとのこ と。今日もお土産を頂く。城史苑の鯉の宮坂で購入しました「ことこと煮」をお食べくださいとお渡ししましたら「おしょうしな」と米沢弁でお礼をおっしゃら れる。午後から講演会があることをご存知なので、短時間お話されて帰られる。「おしょうしな」といわれて、レンタカーを運転なされて通町へ向かわれる。

≪2014.4.2ブログより≫
~森平三郎校長先生の想い出:大境彰大先輩(E22卒)~

【森平三郎校長・学部長・学長の年賀状】

◇ 元オームビット会会長・大境 彰大先輩(E昭和22年)が森平三郎校長・学部長・学長から頂いた年賀状。 


◇ 大境 彰大先輩(E昭和22年卒)

【第五代米沢高等工業学校・森平三郎校長の肖像画が完成】
     2011.2.3
 重要文化財展示室に掲示の初代から、第4代までの校長の肖像画はあるが、森校長は写真でしたので、肖像画を沖津信也画伯に依頼されていました。小関事務長から出来上がったとの連絡を受け、応接室へ。

《沖津信也画伯(右)と大場好弘山形大学副学長、前有機エレクトロニクス研究センター長》


《沖津画伯が描かれた第五代米沢高等工業学校・森平三郎校長の肖像画》


 
<大境彰大先輩(E22)よりお聴きした森平三郎校長先生の留任依頼を安倍能成文部大臣に依頼したお話>

  特に記憶に残るのは森校長の留任の件である。終戦後各地の学校で校長の排斥運動が起きた。戦時中は戦争を鼓舞しておきながら、戦後は手のひらを返したごと く民主化を言い出して怪しからんと言うことで排斥運動が起きた。ところで学校では森校長先生が自ら辞めると言い出された。

 親のように慕っていた我々は驚いて辞めないようお願いしたが先生の意思は固かった。
そこで学生大会を開き先生の慰留のお願いを文部省に陳情するため、代表をおくることになった。

  代表の川口さん(我々より7歳上、山形師範出で肘折小学校の先生をしており、我々は川口つあんと親しみを込めて尊敬していた)の話によると、安倍能成文部 大臣は話を聞いて「校長の排斥運動が多い中で留任をお願いするとは、森校長も偉いが君たちも偉い」と感激され握手されたとのことでした。
 その森先生も今も尚、「青春の詩碑」より毎日我々を見守ってくださっている。
        以上、 大境彰大先輩(E22)著  森平三郎校長先生の想い出 より   

<大境彰先輩(E22)が米沢工業会にお越し下さる>
2007.8.2(木) 快晴
 10時30分に大境彰先輩(E22)が米沢工業会を訪ねて来られる。10月2~3日に開催される「E22卒業60周年クラス会」の準備のために来訪なされる。
 7月6日に開催された 京浜オーム・ビット会に出席した際、8月2日に工業会訪問のお話をお伺いしました。

【奥様と奥様のお姉?さん、妹さん?と御一緒に記念撮影】
◇ 奥様御姉妹は、「青春の詩」のパンプレットを差し上げましたら大変喜んで下されました。



【平田 拓教授と記念撮影】
◇ 京浜オームビット会でご講演された平田教授の研究室を訪問される。

                   


  

【青 春 の 詩】

 青  春
      原作 サミュエル・ウルマン
      邦訳 岡 田 義 夫

青春とは人生のある期間を言うのではなく
       心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心
      こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚の皺を増すが
情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑や、不安。恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であるうと十六であろうと、
   その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、
その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、
事に処する剛毅な挑戦、
   小児の如く求めて止まぬ探究心、
          人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、 失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、
勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、
     人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、
悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、
この時こそ人は全くに老いて、
神の憐れみを乞うる他はなくなる。

 


 
    “ YOUTH ”

 Youth is not a time of life ― it is a state of
mind ; it is a temper of the will, a quality of
the imagination, a vigor of the emotions,
a predominance of courage over timidity,
of the appetite for adventureover love of ease.

 Nobody grows old by merely living a number of years ;
people grow old only by deserting their ideals.
Years wrinkle the skin,
but to give up enthusiasmwrinkles the soul.
Worry, doubt, self‐distrust,fear and despair
― these are the long, long years
that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every
being’s heart the love of wonder,
the sweet amazement at the stars and the starlike things
andthoughts, the undaunted challenge of events,
theunfailing childlike appetite for what next,
and the joy and the game of life.

You are as young as your faith, as old as your
doubt ; as young as your self‐confidence, as old as
your fear, as young as your hope, as old as your
despair.

So long as your heart receives messages of beauty,
cheer, courage, grandeur and power from the earth,
from man and from the Infinite, so long you are young. 

When the wires are all down and all the central
place of your heart is covered with the snows of
pessimism and the ice of cynicism, then you are
grown old indeed and may God have mercy on your
soul.
                                                                           Samuel Ullman
             
                      
《青春の詩碑》 


撮影:2011.1.21(金)14:00


7時までの24時間に34cm積もった2月17日の昼下がり
撮影:2013.2.17


山形大学工学部内の重要文化財・旧米沢高等工業学校本館の前庭に設置されている。
詩の原作:サミュエル・ウルマン、邦訳:岡田義夫(山形大学工学部元講師、森校長と東京大学で同級)、森 平三郎先生が世の中に広められました。
森 平三郎 先生の経歴(1891~1980)
1943年(昭和18年) 米沢高等工業学校校長
1944年(昭和19年) 米沢工業専門学校校長
1952年(昭和27年) 山形大学工学部長
1953年(昭和28年) 山形大学学長
1955年(昭和30年) 退官
 


【安倍能成書の石碑、張自由之快翼 負責任之重荷】

《青空をバックに、残雪を前に
   「張自由之快翼 負責任之重荷」の石碑》







米沢市立第一中学校の校庭に安倍能成書の石碑がある。張自由之快翼 負責任之重荷と揮毫されている。

「漱石門下の四天王」のお一人。

安倍能成は文学者、教育者、哲学者、政治家である。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣、新制学習院院長を歴任。

 米澤第一中学校で昭和23年に記念講演の折の揮毫を石碑としている。

「自由の快翼を張り、責任の重荷を負う」は第一中学校の校訓となっている。