山形大学工学部 米沢工業会 事務局

≪米沢工業会創設九十周年記念ロゴ≫

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 昨年・2014に米沢工業会創設九十周年記念し、ロゴを作成。

<創設九十周年記念式典での理事長挨拶>

 米沢工業会創設九十周年記念しまして、記念ロゴを制定いたしました。米沢工業会の米をへん・左部分に、九十周年の九十をつくり・右部分に組み合わせて「粋」としました。

 「粋」には人情の機微という意味があります。
 松下幸之助さんは、人生において最も大切なことは、人情の機微を知ることですと、言われております。
人情の機微を心して、経営して参ります。
 
≪東京・上野の国立科学博物館での展示会で展示した粋の書&青春の詩碑模型≫

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~いつから大人?~

 毎日新聞の「日曜クラブ」、心療内科医の海原純子さんの「新、心のサプリ」・2015年11月1日(日)のテーマは「いつから大人?」。

 サーカスで芸をする象が細い鎖で繋がれているが象は逃げようとしない。小さい時から何度も逃げようとしたが鎖はびくともしない。体力がついて、鎖を引きちぎるだけ強くなっても鎖を壊そうとしなくなる。

 みなそれぞれ自分を縛る鎖をもっている。「自分にはムリ」という心をしばる鎖をはずして一歩踏み出し、自由になった時からが成人なのだと思う。

≪安倍能成書の石碑、張自由之快翼 負責任之重荷≫

《青空をバックに、残雪を前に
   「張自由之快翼 負責任之重荷」の石碑》

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米沢市立第一中学校の校庭に安倍能成書の石碑がある。張自由之快翼 負責任之重荷と揮毫されている。

「漱石門下の四天王」のお一人。

安倍能成は文学者、教育者、哲学者、政治家である。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣、新制学習院院長を歴任。

 米澤第一中学校で昭和23年に記念講演の折の揮毫を石碑としている。

「自由の快翼を張り、責任の重荷を負う」は第一中学校の校訓となっている。

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≪安倍能成文部大臣と森平三郎校長≫
 
<大境彰大先輩(E22)よりお聴きした森平三郎校長の留任依頼を安倍能成文部大臣に依頼したお話>

 終戦後各地の学校で戦時中は戦争を鼓舞し、戦後は手のひらを返したごとく民主化を言い出している校長の排斥運動が起きた。森校長は自ら辞めると言い出された。親のように慕っていた大境さんたちはやめないよう慰留したが先生の意思は固かった。

 学生大会を開き先生の慰留のお願いを決議し、代表者が文部省に陳情した。代表の川口さんの話によると、安倍能成文部大臣は話を聞いて「校長の排斥運動が多い中で留任をお願いするとは、森校長も偉いが君たちも偉い」と感激され握手されたとのことでした。
 その森先生も今尚、「青春の詩碑」より毎日我々を見守ってくださっている。
                                    
《青春の詩碑》 

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撮影:2011.1.21(金)14:00

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山形大学工学部内の重要文化財・旧米沢高等工業学校本館の前庭に設置されている。
詩の原作:サミュエル・ウルマン、邦訳:岡田義夫(山形大学工学部元講師、森校長と東京大学で同級)、森 平三郎先生が世の中に広められました。
森 平三郎 先生の経歴(1891~1980)
1943年(昭和18年) 米沢高等工業学校校長
1944年(昭和19年) 米沢工業専門学校校長
1952年(昭和27年) 山形大学工学部長
1953年(昭和28年) 山形大学学長
1955年(昭和30年) 退官